旅立ちの準備。ホスピスケア病棟にて。


昨年末より胃が痛い、お腹が痛いと訴えていた叔母を、6月にお見舞いに行きました。

この叔母は、私にとってかけがえのないメンターであり、心の支えであり、親友のような存在。誰にでも愛情を持って接するので、そのように思っている人は周囲にたくさんいるはずの人です。

感染症で入院したと聞いて、週末に突然弾丸で行ったロサンゼルス。そして数か月経ち、たまたま仕事の用事も出来たので10月1週目にまた渡米することに。仕事が終わってから2泊、病院の近くに宿を取りました。今回はガン専門病院です。

ダウンタウンから車で1時間ほどのDuarteという街の病院、City of Hope。6月には、痩せてしまっていたものの、かろうじて会話できていたのに、今回は本当にチューブだらけになってしまっていました・・・ 

病院に到着した日は、あいにく3回目の抗がん剤が終わったばかりの次の日。 ぐったりとして衰弱した叔母はCTスキャンのために検査室に運ばれて行くところでした。

その様子を見て愕然とする私と、叔母の姉。

3人姉妹で、一番末の妹が夫の母親ですが、本当のところ、今回病気になってしまった叔母を私は本当に頼りにしていたし、心から信頼してなんでも話せて、いつも受けてくれて愛情をいただいていました。

次の日はお昼ごろからずっと病室で話しかけたり足をさすったりして過ごしました。自分が病気になってしまった時、一番心地よかったのは先生でも看護師さんでもいいのですが、「人の手のぬくもり」だったことを実感しているので、手や足をさすり、そしてハグし、おでこにキスをしたりして過ごしました。

後で病院のブログに「The Final Journey」というものがあったので、読んでみると、呼吸がぜいぜいしてきたり、尿が少なくなってきて腎不全になってきたり・・・ そして目を閉じることなく休んでいたり、まさに死期が近いことを思わせる症状だったことが分かりました。

彼女は鼻からもチューブを入れてお腹にたまってしまった水を出したりしてまさにチューブだらけ。

家族の総意は、「もうこれ以上抗がん剤はやらないでおこう。」

私は3日間だけ滞在して帰国しなければならない・・・どうにか奇跡が起きて、ドレナージュでなるべく水分を外に出し、抗癌剤が正常な細胞まで壊してしまったのがなんとか回復して、そしてガンと共存しながら少しでも生きてくれたら・・そう祈るしかありませんでした。

3日目夕方、とうとうお別れの時間がきてしまい、後ろ髪を引かれる思いで2回ハグとキスをして病室を後にしました。

帰国して数日。 私は誕生日を迎えたものの、お祝いする気にもなれず、Facebookには叔母様と一緒に過ごせた何年か前のThanksgivingの写真を掲載し、気持ちをロサンゼルスに置いてきてしまったようでした。

翌朝、日本時間の4時少し前。 ロサンゼルスの10月12日、12時45分、叔母が天国へ旅立ったことを知りました。 

ああ・・・・やはりあの状態は確実に死を直前に迎えた状態だったのか・・。

それでナースやドクターの言いにくそうな表現などの意味もはっきりしました。

最後の1日強、家族の意思でホスピス病棟に移ったばかりの時でした。もう延命のための治療は辞めよう、そう決めて痛みのコントロール中心、なるべく快適になるように、そして最後のひと時をなるべく家族と過ごせるように広い部屋に付き添い用のベッドがある、という計らいでした。

そこで最後に宿泊して過ごしたのは、主人の妹。本当に心の優しい素晴らしい義理の妹を持ったことを誇りに思います。

今までも祖父母、叔父が亡くなりお葬式に参列したことはあるものの、最期に近い数日間を間近で体験してこなかった・・・。人が旅立つ時の直前の様子を目の当たりにし、しかも最愛の叔母を亡くすという辛い体験をして、人生が終わりに近づいてきたときに、はたしてどのくらい治療するのが正解なのかが良く分からなくなりました。

お姉さんの方の叔母とその息子に、「今まで、サラ叔母さんは私が辛い時にいつも無料アプリの電話でサポートしてくれていたの。しょっちゅう電話やテキストでやり取りしていたから、あまり会わなくても本当に近い存在だった・・・。」ともらすと、「これからは僕たちがいるから。」と言ってくれたことに本当に感謝しています。

家族が本当にお互いのことを思いやり、仲良くできたら世の中、すっごく幸せな場所になるのでは?と思うのです。

日本人はあまりハグやキス、身体をさすったりということが得意でない家族もいるかもしれません。でも、人は万国共通で素直に愛情を表現すると気持ちの良いものだと思います。

来週、予期せぬ急展開に戸惑いながらも、もう一度渡米し、Viewingと言われる最後のお別れとお葬式に参列してくるつもりです。 その後は、皆から愛されたサラ叔母様の笑顔の多かった人生をお祝いすることと思います。

サラ叔母様、本当にいつも心に寄り添ってくれてありがとう。天国でおじさまとお母さまと再会して穏やかな気持ちで微笑みながら、私達のことを見守ってくれていることでしょう。

Sweet memory of Dearest Tia Sarah, R.I.P.