卵巣がん再発の時~回想⑦


卵巣がん、乳がんの回想録を最後に書いてからだいぶ時間が経ってしまいました。個人のブログなので、そんなにアクセス数などは気にしていないのですが、プラットフォームで見ると、やはり回想のところはよく読まれているようで嬉しいです。

同じような病気になってしまった人にとって、励みや力になれたら・・・というのが回想録を書いた動機です。なぜなら、自分もものすごくいろいろな情報や、過去に同じ病気になった人の例を探していたから。 

最初に罹患し、手術したのは2009年。それから15年以上経ったことになります。 今現在、健康に何も問題がなく、普通に仕事をして、二拠点生活をするために車も運転し、元気に過ごせていることに感謝です。

今日は、卵巣がんが再発した時のことを書いておかなくては・・と思い立ちました

手術から2年強経った2011年のゴールデンウィーク。私は何気なくベッドに横たわったまま、かつて子宮・卵巣があったお腹を両手で触っていました。すると、何かパチンコ玉のようなコリコリを感じました。

そうなるといても経ってもいられず、病院に電話し、GW後の予約を取ったものの、不安は募るばかり。GWは始まったばかりで、一週間以上じっとしていられるかというと、気持ちは焦り、「気」の治療で有名だという先生のところへ行ってみたりしました。 その「気」の療法は、体験としてはユニークで、今でも時々取り入れているものもありますが、根本的な解決にはならず・・・。

GW後に信頼するドクターに会い、そして早速検査。

病理検査後に分かったのは、やはり小さなコリコリは癌だったということです・・・・。

え?本当に?また当時のどよーんとした暗雲が目の前に現れて私を笑っているよう。ただ、今回はPETでもそこにしか現れていないということで、とにかく摘出しましょう、ということになりました。 

家族の誰にも言わなかった

この時、私は以前の結婚をまだ続けており、再発したなどと言おうものなら、仕事や出張を制限するように言われたり、余計な気を遣わせてしまいそうな気がして、家族に伝えるのをやめ、自分だけで対処することに。

手術は部分麻酔で1泊のみで済むということで、私は大阪出張、と偽り、病院にキャリーケースをもって出かけていきました。翌日帰りに持って帰る「大阪土産」をデパ地下で調達してから・・・笑 

手術は部分麻酔なので、先生と会話しながら行われました。 「あ、そこ痛いです」とか言った覚えもあります。 

結局、取り出された、ガーゼで包まれたものは、やはりパチンコ玉のような物体で、触ってもみましたが、とても固いものでした。小さながん組織が2年前から残ってしまったのか、本当に純粋に再発したのかはよくわかりませんが、とにかくガンはガン。

術後の抗がん剤を実施するかどうかの決断は

2009年、最初に卵巣がん3期B、乳がん初期、を2つ同時に体験したときには、抗がん剤を受けるかどうかなどは、もう、二つ返事でYESでした。というのは、本当に今の自分にとってそれは必須だと思ったからです。そこまでひどいステージになっていたら、摘出は出来ていたとしても、細胞単位で殺す必要がある、だから抗がん剤で念を入れる、当然のチョイスでした。

ただ、今回、部分的に発生したパチンコ玉は摘出し、身体の状態もいたって元気。その他の血液の状態も異常なし。身体の声に耳を澄ませると、

今回は抗がん剤は必要ないのでは?

そう言っていました。これは、自分自身の責任で、後でめちゃくちゃ後悔するかもしれない案件です。なので、少し時間をとって考えることにしました。その間、知人でやはりがんの重篤な状態から復活した方や、経験者に意見を聞くことに。

年配のある方は、何も専門的なアドバイスはできないけれど、と前置きしながらも、ある開業医のブログを教えてくれました。そこに書いてあることをじっくり読んだ後、私はやはり今回は抗がん剤はやらない、と決断しました。

抗がん剤は、体力をものすごく消耗させます。そして、白血球の値が1000を切るくらいに免疫力がなくなります。今、健康な細胞を含め、抗がん剤のような武器を使って叩きのめす必要があるのか?それは今回はNOでした。

先生に伝えると、特に腫瘍内科の先生は大反対。「私は今までの何百もの症例を見てきていて、それで言っているのです」と。

いや、それはそうだと思うけれど、どの症例も、個人の考え方も個人の体力も違うはずで、私はいろいろ考えた結果、自分の責任でやらないことを決めました。 執刀医だった先生は、「では、PET-CTをとって、本当に他に影が今見当たらなければ、抗がん剤なしでいってみましょう。その代わり定期的に検査します。」と言ってくださったので、定期的に観察していくことができればさらに安心ですし、今回はやはりやらない、ということでいけることになりました。

これはあくまで私の個人的な体験です。だから、これを読んでくださっている方も、それぞれの状態、それぞれの考え方、先生がたのアドバイス、すべてを熟考してください。 

本当に悩みぬいたけれど、2回目は抗がん剤をやらないことにしました。

そして、それから時間が経って、その後の再発はなし、そしてとても元気にしています。実質的にもメンタル的にもサポートしてくださったその時の先生方すべてに感謝しています。

2011年秋、バレエの発表会の練習風景。コンテンポラリー、ヴィバルディの四季より「夏」